木曽木材工業とは

木曽郡及び塩尻市(旧楢川村)を含む地域を中心として、木曽ヒノキ、天然さわら等に代表される木曽材の専門工房や工場を営業している事業所団体です。

木曽木材工業協同組合は、木製品製造業と製材業の組合員メンバーで構成され、各事業所の技術力が高く全国的に評価されています。

木曽谷は約9割が森林で占められ、限られた耕作地での農作物では豊臣の時代、領民を養えませんでした。
秀吉は、遠く平安時代から知られている木曽ヒノキの他、木曽の木材資源を高く評価し、米年貢に代わりに木年貢を課し、木曽谷を尾張藩の直轄領として管理、築城などに利用しました。
その時代には木曽の山々から大量の木材が切り出されました。

その結果、木曽の山々が荒れ、木材が少なくなったため尾張藩は「木一本、首一つ」という厳しい保護と規制を行い、当時のひと達が命をかけで山を守ることとなり、今日まで木曽の山は木曽のひとびとに大切に守り育まれてきました。

山林の伐採を制限された木曽領民には、風土に根ざした地場産業の開発・生産が奨励され、藩から支給される「御免白木(ごめんしらき)」を加工した木製品、養蚕や薬草から作る薬、木曽馬の飼育など地場の特性を生かした産業振興を図り、木曽路を江戸へ京都へと木製品とさまざまな地場産品は全国に広まり木曽の暮らしの支えてとなりました。

そして、時代を経て厳しい森林保護政策から解き放された木曽の山々は、明治には「御料林」と呼ばれ皇室の財産となり、戦後は「国有林」となり、その国有林から出材される貴重な天然資源を有効に木曽木材工業協同組合は、利用し活用を図っています。

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木曽材木工芸品
木曽材木工芸品

木工製品に於いては、伝統工芸の技の継承し、国や長野県の伝統工芸品に指定されています。
最近では(公社)国土緑化推進機構より「森の名手・名人」認定を受ける組合員さんが徐々に増え、一般の方にわかりやすい形で木曽の木工品のすばらしさが知られています。

同じような木工品でも、それぞれの職人が知恵と経験を生かし、細部の形が違ったりしますので使ってみるとまた、その差がよくわかります。

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木曽材の原木
木曽材原木市

豊富な地域材となる木曽材は、素直さとねばりのある特殊材が多く、それらを地元の製材工場が協力し加工できるので良材を大量に納入することが出来るのです。
こうした組合員の結束が、大量な資材が必要とされる歴史的建造物の復元・建替えのご用達を行ったりする事を可能にしています。

原木より製品加工する工場は、信州木材認証製品工場の製材会社が多く、安定した品質をお届けできるのも魅力の一つとなっています。

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